ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

死化粧師オロスコ

Orozco El Embalsamador 邦題《死化粧師オロスコ》
監督:釣崎清隆
日本(スペイン語)、1999年、84分

フリーの「死体カメラマン」である釣崎清隆がVTRで制作した映画。完全ドキュメンタリーであるこの映画は、釣崎が1995年に、友人であるコロンビアのタブロイド誌「エル・エスパシオ」の専属カメラマン、A.F.ボニージャからエンバーミング*1を撮影することを勧められた時に始まりました。


南米コロンビアにて、オロスコというエンバーマーを2年に渡って撮影しつづけたこの作品ですが、まず驚かされるのは死体の数。オロスコ1人で日に5〜10体の死体をエンバームしているということですが、エンバーマーはオロスコ1人ではないことを考えると、一体何人の人が日々死んでいくんだろうと考えてしまいます。
死に方は様々。傷害で殺される人もいれば、人知れぬところで病に倒れ死ぬ人もいるし、児童公園のそばで轢き逃げされた人もいます。死体の数云々よりも、その死体があまりにも当たり前のようにそこに転がっているという状況に閉口。シートを被せられない死体の傍で遊ぶ子供、子供の手を引きながら死体を見に来る母親。生と死が遠すぎる国は死へのレアりティが欠如するものですが、ここまで近すぎると、逆にまた欠如するのではないでしょうか。
釣崎監督はこう言います、「この必ず毎日誰かが死んでいる通りを通る時、誰もが『自分だけは大丈夫』と思って通るのだろう」と。そして案の定殺され、そこから半径50メートル以内で検死とエンバームと死亡告知が為されると言うのです。なんて狂った機能性なのでしょうか!この通りには検死所と葬儀屋と死体安置所(しかも隣は小学校)があるのです。


オロスコの仕事は、運ばれた死体を切り開き、内臓を一旦取り除いてから血をできるだけ絞って水で流し、再び内臓を詰めホルマリン溶液を1体に付き瓶半分浴びせかけ、再び縫い合わせ、遺族の持ってきた服を着せ、ちょっとした傷に肌色のテープを貼ったりファンデーションを塗ったりして、完成です。こうして毎日毎日死に行く人をエンバームし続け、毎朝コーヒーを(自分の店と葬儀屋との間にある)カフェテリアで飲むオロスコ氏にも死が迫ります。オロスコとは違ったやり方でエンバームをする若手からの非難も受けます。(確かに彼のエンバーミングは素晴らしかった。陥没した頭部が、処置後に顔の皮を戻すと全く分からなくなってるのです!)
それでも毎日オロスコは死体と向き合いながら生きていく。第二次大戦時ドイツ軍にいた時にユダヤ人を4万人くらい埋めたと言うオロスコ、それを遼に凌ぐ数の人間をエンバームした彼の最後の死に場所は…。

前回の記事で取り上げた《エデンへの道》もエンバーマーを撮ったドキュメンタリーでしたが、同じような行為なのに、国の情勢によってこうも違った映像が撮れるものかと驚かされます。エンバームの環境や、死体を切り開く道具そのものから(オロスコは縫い合わせる時布団針と麻紐を使ってました。まさに“袋”状態な人間)エンバーマーの気の持ち様まで、全てが違いすぎました。個人の資質の問題というのではなく、明らかにこれはエンバーマーが生まれ育った国の情勢です。
死が近すぎる国。熱狂と楽天の国。革命の国。コカイン漬けの人々。生きる人間。死ぬ人間。現実原則の支配する世界。唯一の夢の世界はサタニストの世界。映像の衝撃というよりも、そこに映されているものを支える状況に戦慄を覚える作品です。(----2000)


    コロンビアをどう思う?
    もうスペインでも話されていないような美しいスペイン語を話す国。…こんな答えでいいかい?さぁ、サルサで踊れ!コカもたっぷりあるぞ!Viva!コロンビア!

*1:遺体衛生保全。遺体の防腐・保存・防疫・修復の技術。その歴史は約4000年前のエジプトのミイラ作りにまで遡る。特に土葬が一般的なキリスト教国において、「復活思想」から遺体の保存が重要視されてきた。