ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

ボーヌ

ディジョンからローカル線で約20分の町。11月中旬のワイン祭りで有名なのではないでしょうか。城壁に囲まれた町で、城壁内部が中心街、ボーヌ駅は城壁外にあるので、中心地まで10分くらい歩きます。

Hôtel Dieu オテル・デュー
【歴史】Hospices de Beaune(ボーヌ施療院)であるこのオテル・デュー(神の家の意、引いては病院を指します)は、1443年ニコラ・ロラン(フィリップ・ル・ボン、ブルゴーニュ公爵治下の総裁)とその妻ギゴーヌ・ドゥ・サランによって建てられました。百年戦争(1337-1453)で負傷した人々の治療に加え、荒廃した商業の活性化とを同時に成し遂げ、1971年まで病院として機能(現在は病院の機能は少し離れた近代施設にに移動、養老院の役割は存続)。
フランドル地方の病院建築に魅了されたロランが、J. Rateau(主任石工)とG. La Rathe(主任大工)に命じて作らせたこのゴシック様式の建物は、中世ブルゴーニュ地方の至宝とされています。
【見所】多色七宝焼きで装飾された土瓦の屋根。これは元々中央ヨーロッパに多く見られる屋根の装飾でしたが、次第にブルゴーニュ地方に広まり、やがてこの地方の典型的な様式にまでなりました。
集団病室の屋根の横梁はドラゴンが火を噴いた形になっていて、その丹色と龍の組み合わせにちょっと日光東照宮を思い出してしまいました。梁の脇にちょこちょこといる人頭(ボーヌのブルジョワの表現)も面白いです。そして床の所々にある煉瓦色のタイルには、ロランとサランの頭文字を組み合わせたモノグラムと「seule*」のマークがあります。絡み合ったマークがなかなかエロいです。各部屋に尼僧のマネキンがいるのですが、無駄にリアルを追求していて、これはちょっと気持ちが悪い。
厨房の入り口付近には20世紀前半にH. Bouchard*1が作ったロラン夫妻の彫像があります。そして厨房入ってすぐ、暖炉の横に回転取っ手の“ベルトラン殿”がいます。ちっちゃくて可愛い。
サン=ルイの部屋は宝物部屋になっていて、ブルゴーニュ民芸家具および木彫像・石像、16世紀のタピスリー(『放蕩息子』『ヤコブの物語』など)と15世紀の刺繍タピスリー『受胎告知』等などが展示。
【必見】なんと言ってもロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden, 1399/1400-1464)のPlyptyque(多面祭壇画)《最後の審判》!これは以前礼拝堂にあったものですが、現在は保存のためサン=ルイの部屋の中の特別室にあります。圧巻*2です。初期フランドル絵画の代表作のひとつ。横には16世紀?のタピスリーでエリギウス伝*3を描いた《千の花》があります。

Collégiale Notre-Dame ノートルダム参事会管理教会
【歴史】12世紀初期の教会で(後に増改築されていますが)、ロマネスクの面影を残すもの。
【見所】内陣やや後方の小さな部屋で、聖母マリアの一生を表したタピスリーが無料展示されています。しかしエジプト逃避の次のシーンがもう、マリア死んでます。早っ。

Musée Marey マレー美術館
写真銃による連続写真でおなじみのエティエンヌ=ジュール・マレー(Étienne-Jules Marey, 1830-1904)はボーヌ出身のようで、ボーヌ市庁舎の横に美術館があります。わたしは時間がなくて行けなかったので、面白いかどうか分かりませんが。

Musée du Vin ワイン博物館
ブルゴーニュ公の居城を改築したワイン博物館。ワインに興味が無いので行っていませんが(だってお酒飲めないんだもん)、ブルゴーニュならではって言うことで、一応ご紹介。

フランス政府観光局ボーヌのページ
Office de Tourisme Beaune
わたしのディジョン・ボーヌ旅日記

画像はオテル・デュー所蔵の刺繍タピL'Annonciation 受胎告知, 2ème moitié du XVe siècleの大天使ガブリエルのお顔。ハンサムです。

*1:パリ16区、25, rue de l'Yvetteにブシャール美術館あります。水曜と土曜の14h-19hのみオープン。

*2:硬質なマチエールも然ることながら、特に地獄の場面に鳥肌が立ちました。あのね、この絵には悪魔がいないんですよ。人間を地獄に引きずり込んでるのは人間たち自身なの。それが凄い。“悪魔”とは何か?ということを考えざるを得ないです。

*3:案内には「傲慢なエリギウスが自分の馬に蹄鉄を早く取り付けるためにその足を切り落としたが元に戻す事が出来なかった」って書いてあるんだけど、一般的なエリギウス伝は、悪魔に取り付かれて人を蹴り殺すようになってしまった馬に蹄鉄をつけるためにその足を切り取り、それを奇蹟により元に戻したというものです。