ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

スイス・スピリッツ展

   
東急Bunkamuraで開催していた「スイス・スピリッツ 山に魅せられた画家たち」展(2006年3月4日〜4月9日)に会期終了ぎりぎりに駆け込み。次のポンペイ展の予告ばかりを見ていたので何もしていないんだろうと思っていたのに、渋谷でポスターを見かけ、それがセガンティーニの絵だったので「うわぁ行かなくちゃ!」と思って急いで行ったのだ。

アルプス山渓の絵画を並べた展覧会ということで作品に対してあまり期待はしていなかったのだけど、しかし鑑賞後は嬉しい満足感が残った。普段なじみの無い画家の作品を見られたということのみではなく、「山」という場に対する人々の関心の移り変わりをテーマにした展覧会だったからだ。会場は6章立てで、時系列に沿っていた。

1)画家による高地アルプスの発見
2)国民絵画としての19世紀山岳絵画
3)1900年前後初期モダニズムにおける山岳風景
4)色と形の解放
5)キルヒナーと「赤・青(ロート・ブラオ)」
6)ポップ・アートのイコンとしての山
7)現代美術における山

セガンティーニホドラーなどわたしが見たいと思っていた画家の作品は期待したものではなく、少しがっかりしたのだが、しかし振り返って考えると、わたしが見たがっていたこれら画家のある種の作品は展覧会のテーマにそぐわないのだ。わたしが期待していたのは象徴主義的な作品であり、もしもこれらを持ってきていたら、展覧会テーマがぼやけ、下手をすると磁場が狂って展覧会そのものを崩壊させてしまうかもしれない。となると、今回の作品選択は間違っていなかったということだ。わたしが個人的に見たいような作品はイタリアやスイスの美術館で常設作品として見られるのだから、ここでがっかりするのは間違いなのだと気付く。

基本的に風景画はわたしはあまり好きではないのだが、しかし今展覧会のように大量の風景画(それも山ばかり!)を見せられると、必然、風景画における好みというものが見えてくる。どうやらわたしは、地質学的正確さで描かれた風景画は好きではなく、山の力強さや神秘性を感じさせるものが好きらしい。初見(だと思う)の画家で Alexandre Perrier アレクサンドル・ペリエ(1862-1936)という画家がいたのだが、新印象主義に分類できるのだろう、その時期のトーロップを思い出した。特に夜の山を描いた Night study near Territet ベックリンやホイッスラーを髣髴とさせる、いい作品だった。 Ferdinand Hodler フェルディナント・ホドラー(1853-1918)による1910年代の山の連作はセザンヌを彷彿とさせる。がしかし木の向きや岩肌の面としての部分を筆触で表そうと制作を繰り返したこの連作は素晴らしかった。所蔵先がばらばらの作品たちだったので、それを纏めて見られる幸福に、展覧会の醍醐味はこれなんだよなぁと改めて思う。 Giovanni Giacometti ジョヴァンニ・ジャコメッティ(1868-1933)*1と Giovanni Segantini ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)とが共作をするほど仲が良かったとは知らなかったので、それもまた個人的に発見だった。セガンティーニには“アルプス三連作”と言われる作品があり、まさに展覧会テーマに即しているとは言え今回借り出されていなかったのは、単に予算や交渉の都合によるものなのか、あるいは風景画というよりも象徴的過ぎるという配慮によるものなのか。セガンティーニ作品は3点しかなかったが、比較的牧歌的な作品しかなかったので、後者の理由によるのだろうか。
第5章のキルヒナーとロート・ブラオの章は、わたしには意外だった。わたしの中で Ernst Ludvig Kirchner エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880-1938)は都会を描く作家であり、アルプスとは結びつかなかったからだ。しかしナチスの迫害を受けて後スイスに隠遁したことを思い出せば、確かにキルヒナーがアルプスの山とそこに生きる人々を描くことも然りなのだ。ベルリン時代の鋭く風刺的な面はすっかりなくなっているが、しかし山に抱かれながらも安心感ではなく寧ろ焦燥感を抱いていたように感じる彼の作品を見て、彼の最後(自殺)を想う。
近現代に入ると、材料は主に写真と立体*2になる。中でも面白いと想ったのは Hugo Suter フーゴ・スーター(1943-)の Painting (Landscape) である。表から見ると曇りガラスに映る山なのだが、裏を返すとそれは布鞄(?)やスコップ、スキーストックなどで形成されていることがわかる。何一つペインティングではないのに、タイトルは「絵画」。オブジェでありかつ影絵でもあるのだ。他には針金を弓なりに曲げてフレームにくっつけただけの、 Markus Raetz の作品 Warum nicht Niesen 。タイトルの日本語訳「これだってニーセン山」が愛らしい。

かつては恐れ/畏れの対象であった「山」が、近代社会の発展に伴い変化していく様をうまく捉えていたと思う。山そのものは変わらなく、変わっていくのはそれを受容する人間の側なのであるということ、同じ山でも作家の状態(肉体的・精神的・社会的)によって見え方は異なるのだということ。そんな基本的なことを改めて感じさせてくれる展覧会であった。大作は無くてもいい展覧会はできるのだと勇気付けてくれる展覧会であったと言ってもいいだろう。…ちょっと褒めすぎか?(05-04-2006)

*1:展覧会中には息子であるアルベルト(1901-1966)の絵画作品が1点あり、しかもこの作品はアルベルトがフォルムの崩壊について嘆き模索している時期のものであった。「山」という主題に対するジャコメッティ親子の制作の差異を感じる面白い材料であった。

*2:そういえば20世紀に入るまで「山」の彫刻ってあったのだろうか?立体物であり成型が容易に思える「山」を作った立体彫刻って見たことがない。ジオラマではなく、作品としての山を。