ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

死は希望か絶望か

芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。
芸術の息吹きが神々の域にまで高められるにしても、それは我々にとって束の間の恩恵に過ぎないのだから。
・・・ベートーヴェン『音楽ノート』

家でベートーヴェンを聴くたびに思い出される言葉。今月頭に第九交響曲を聞きに行ったけど、第九より第七が好きかも。音楽素人なので、ベートーヴェンは分かりやすくて音がでかいところが好きです。

上の言葉が何年に発せられたものなのか定かではないのだけど(引用が正確かどうかも怪しい。文意は合ってるはずだけど)、死ぬ間際なんじゃないかと、ちょっと思う。希望的観測かしら。ベートーヴェンにとって、第九を作って歓喜の歌で一瞬天上界を垣間見たけどでもそれは束の間の掌握にすぎず、すぐにその手から零れ落ちてしまうものだったのではないだろうか。掴んだと思ったことすら幻だったと思わせるほどの儚さ。死へ指向は、ある時には希望となりある時には絶望となる。現世如何なのだ。彼岸への憧れを促すものは何なのか。ベートーヴェンにとっての死は、希望か絶望か。
第九の第4楽章を聴くと、ウィーンの分離派宮殿で見たクリムトの《ベートーヴェン・フリーズ》を否が応にも思い出してしまう。実際この作品を見たときもつい口ずさんでしまった(そして監視員にくすっと笑われたことを思い出す。いいじゃん歌ったって)。あぁでもやっぱり、天上のハーモニーと色彩とフォルムは、あるんだよなあ。完璧な形態は存在すると思う。あれ、あたしったらいつからプラトニシエンヌ?