ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

ジロデ展評

  
ルーヴル美術館で9月22日より始まっていた(2006年1月2日まで)「Girodet 1787-1824」展に行ってきました。比較的マイナーな作家なので(研究してる人、ごめんなさい)、こんな大規模な回顧展があるとは思いませんでした。びっくり。生誕○周年でも没後○周年でもないこの時期に、何故この企画?と思っていたのですが、ルーヴル美術館はずっと以前から準備をしていたらしいです。“ダヴィッドの影響下を出ない作家たちの一人”としての認識しか一般に無かったジロデの特異な面を、できるだけ早く世に紹介すべきだとの認識のもとでこのジロデ展が開催されたとのこと。前回の記事で挙げたように、ジロデの生まれ故郷であるMontargis(モンタルジ)*1ディジョンでも展覧会が行われています(共に12月31日まで)。ルーヴル美術館のジロデ展は、その後シカゴのThe Art Institute of Chicago(2006年2月11日〜4月30日)、ニューヨークのThe Metropolitan Museum of Arts(2006年5月22日〜8月27日)、そしてモントリオールのmusee des Beaux-Arts de Montréal(2006年10月12日〜2007年1月21日)を巡回します。

Anne-Louis Girodet(Montargis 1787-Paris 1824)
1767年モンタルジに生まれ、トリオソン医師(ジロデ家と親しかった人物)の下で洗練された教育を受ける。
1785年よりダヴィッドのアトリエに入る。
1789年、ローマ賞*2を受賞、翌年よりローマへ留学、1796年帰国。
この間の1793年にEndymion. Effet de lune 《エンデュミオン、月の効果》(ルーブル美術館所蔵)を発表。
パリに戻って後、多く肖像画を手がける。1799年にはランジュ嬢の肖像画を描き一騒ぎあり*3
肖像画のほかには歴史画、そして詩的な作品の数々を描く。
1812年にはナポレオンの肖像画36枚を依頼され、帝政時代のお抱え画家となる。
また城郭の内部装飾も手がける。1824年に死去。

チケットもぎりを過ぎて、まず入り口のロトンダで我々を出迎えるのはLa Révolte du Caire 《カイロの反乱》(1809年)(ヴェルサイユ宮所蔵)。幅5mを越す巨大な作品であり、ジロデのあらゆる要素を内包するような作品でスタート。会場に入るとクロノロジックに整理され分かり安い会場構成。
1) ダヴィッドでのアトリエ修行(ダヴィッドの作品を併置)からイタリア滞在期の作品。
2) 当時流行したオシアン伝説*4を基にした作品群。
3) 優雅さを強調した作品群(城郭内装やランジュ嬢のダナエなど)
4) 主要作品の分析的検証:
  Une Scène de déluge
  La Révolte du Caire
  Napoléon
  Atala au tombeau
5) 肖像画群:Portrait de Chateaubriand
6) デッサンおよびジロデのクラシシスムの骨頂の確認

パーテーションが複雑でなく導線が分かりやすかったので、滅多に逆流者もいなくて大変見易い展覧会だった。ジロデ初心者のわたしにもジロデ芸術の大観を分かりやすく見せてくれる親切な構成、そして何より一番嬉しいのが、普段上のほうに掛けられていて細部が見えない作品を、近い位置で見られたこと。欲を言えば、影響が確実であると述べられていたフュースリらの作品を、白黒でも良いからパネルに併載してくれていると良かったかな(フュースリはルーヴルの中で見られますが、企画展示室からは遠いので)。
有名なシャトーブリアンの肖像(テラスでたそがれる二日酔いのおっさんと呼んでいる。画像左)もジロデが描いたものだったのねーと、個人的発見もあり。そして画像右の作品Atala au tombeau 《アタラ》の題と原作者(この、二日酔い風なシャトーブリアン原作だったのね)も知ることが出来た。それまで、埋葬される少女の絵としか認識していなかったのだ。今回ポスターやカタログの表紙になっているおかげで、アタラの死を嘆くインディアンの青年が、(わりと現代的にすら見える)ピアッシングをして、そして髪形がちょっと変なことも確認。


上手いのは当然なんだろうけど、しかしそれにしても上手い!と痛感せざるを得ない。布の表現ひとつにしても唸らせるデッサン力。わたしのなかのジロデとは“美少年を美しく描くゲイ作家”でしかなかったのだけど、今回の展覧会で、セクシュアリティに関するの興味以外に、オシアン伝説の解題の仕方、聖書主題との共鳴と逸脱、他の画家*5との関連など、知りたいことが色々出てきてしまった。上手い事が当然と見られてしまう時代の、その不幸さにも注目したい。メチエのなくなった19世紀後半以降は、果たして幸福な時代なのか?

*1:Loiret ロワレ県:郵便番号45-、ロワール川沿いでフランス内陸の県。領主町はオルレアン

*2:1666年にコルベールが設営した賞で、受賞するとローマにあるアカデミー・ド・フランスに留学する資格を得られる。

*3:モデルとなったランジュ嬢 Mademoiselle Lange は総裁政府当時の人気女優。サロンにこの肖像画が出品されたが、彼女の気に入らなかったため撤退を要求。それを受けたジロデは怒ってこの作品を破り捨てた。後La Moderne Danaéを新たに描き直して再出品。

*4:“北のホメロス”と呼ばれるスコットランドの民間伝承。手早く言えば西洋版『浦島太郎』

*5:特にフュースリ、ブレイク、アングル。オシアンもののデッサンでは「えっこれモロー?!」と言いたくなるようなものまであった。