ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

ピアッシングの話

MOD(モッド)とは、Body Modification(身体改造)のことです。ピアッシングや刺青が一般によく知られるMODの一形態ですが、肉体の一部を切除したりあるいは逆に付加したりする場合もあります。わたしはピアッシング以外のMODは行っていないのですが、それでもよく「なんでそんなとこにピアスするの?」と聞かれます。そんなに突飛なところにはしていないんだけど、それでも耳たぶにするだけが普通と思っている人には驚かれる事が多いです。


昔、日記に以下のように書きました。『ピアッシングの際に理由はつけてはみるものの、かといって生きてる実感を!とかいうんでもないし。痛かったり異物感があるというのは確かにその異物がある場所を実感させてはくれるものの、でも時間が経つと体の一部として意識に溶け込んでしまうものだし。もしかしてあたしは、自分の意識に吸収できる異物を体内に取り込みたいのかもしれない。それは妊娠のようなものかもしれない。』2002年5月5日にこう述べていますが、今でもそうだと思っています。あたしは子供が欲しいと思ったことがないし、だから妊娠したいなんて思ったこともないのですが、それでも、自分の体内に自分とは異質の物体があり、そしてそれを育んでいかねばならないとしたら、それに対して愛着が沸くであろうことは想像できます。ましてや自ら望んだ「妊娠」ならば、なおさら「わが子」が愛しくなるのも当然でしょう。

もちろん、ピアッシングする人それぞれに理由はあると思います。なんとなくかっこいいからという人、身体を飾る目的の人、自らの体を傷つける行為の一環として行う人。あたしにとって、痛みを感じることはたいした問題ではありません。 寧ろ、穴を育てて大事にしていくことのほうが大切なのです。ボディピアッシングをすることは、物理的に時間もお金も、そして手間もかかります。ピアスホールはある意味で生きているわけですから、その世話に手がかかるのは当然です。いったんホールを作ったら、毎日面倒を見なくてはいけないのです。けれどもこうして出来上がり完成した(安定期に入った)ピアッシングホールは、達成感を味わわせてくれ、そしてなにより、物理的精神的に手間をかけたんだという実感から、自分の肉体をより愛する契機となるのです。重要なことは、形成する行為です。傷つける行為ではありません。

もちろん「ここにジュエリーがあったら綺麗だろうな」というデコレーションが目的でもあります。なぜそれが「穴を開ける」行為でなくてはならないのか。ここにはひとつのトリックがあり、個人的には、ある意味で取り返しのつかない行為をしなければ自分の肉体が愛せないという理由があります。おそらく自らの肉体に対し欠如感を抱いていない人間ならば、こうした行為は行わないのでしょう。肉体における精神的な欠如感があり、それでも自分を好きでいたいと願う、そのためにはどうしたらよいか。それがBody Modificationの始まりなのだと思います。穴をあけて飾る。そのための穴を育てる過程で自らの肉体を何度も顧みる。大切なホールと大切な肉体。一生付き合っていく自分だけの体。
妊娠した母親は、自らの体と未来のわが子を大切に扱うものだと思います。少しの変化にも敏感になり、体の調子の良し悪しに気を配る…ピアッシングホールを育てる行為は、おなかに子供を宿した母親の状況と同じなのです。自らに常に気を使うようになるのです。だから、特にあたしにとって、ボディピアッシングは自分の体を愛するためのひとつの装置なのです。