ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

「等身大の約束」展

都現美で4月1日まで開催されている企画展MOTアニュアル2007 等身大の約束 From a World as Large as Life 展を、前回記事で書いた「中村宏 図画事件」展と一緒に見てきました。MOTアニュアルとは都現美が平成10年度から毎年開催している若手作家展であり、毎年現代を反映したテーマを設定しています。第8回目となる今年のテーマは、「自分の立ち位置はどこか?」。コミュニケーションツールの多様化により希薄化する自己認識力を見直させる作家5名を紹介したものになっています。


    

今回取り上げられている作家は、秋山さやか、加藤泉、しばたゆり、千葉奈穂子、中山ダイスケ(敬称略)。この中でも、昨年名古屋の美術館でも見た加藤泉の作品がダントツで可愛い。彼の作品は、平面より立体のほうが好きなのですが、今回も立体作品がわらわらとあって良かったです。ひとよ茸状の赤ん坊(宇宙人?)とか。パッと見には奈良美智をもっと尖らせた感じみたいなんだけど、子供の無邪気な残虐性というよりは、得体の知れないものとしての胎児を表しているような気がする。蛍光色のような絵の具は個人的にあまり好きではないので余計に立体造形の方が好きなんだけど、三次元化した頭でっかちな胎児は不気味で、でも実際生まれる胎児もこんな形をしているわけで、リアルな何かを突きつけられている感じがするのが、この人の作品の魅力なんじゃないだろうか。

やや押し付けがましさすら感じさせるくらい「わたし」というものに自覚的な作品は、しばたゆり。展示の仕方と見せ方はとても美しいし、あらゆる思い出の品を粉末にして小試験管にしまいこむ、そのマニアックなコレクト振りは、多分わたしに近いから馴染めないんだと思う。作品としては面白いし、メッセージ性もある。ただ手放しで好きになれないのは単にわたしの性質のせいであって、多分しばたゆりの作品を熱愛する人はいるだろうしそういう人を否定する気はない。

まるで絵本のような可愛い色使いで作品を仕上げつつも、そこには何か対象の底深さのようなものを感じさせるのは中山ダイスケの作品。そんな彼の作品に対するイメージを、まんま示されたような気がした今回の展示《private castle》(2007)は、針金(だったかな?)でうずくまった人の背中を模した空洞が点在する異様さだった。うつむいた人のようなモノを覗き込むと空洞なのは分かっているのだけど、それでもやっぱり覗きこまずにはいられない。そしてその「やっぱり」な暗さに愕然とするのだ。



以前何かの文学賞をとった人も言っていたような気がするのだけど、我々若い世代にとって他者との断絶はもはや描くべきテーマではなく前提条件であるのだと思う。すでに断たれているものをいかにして結びなおすのか、それが今の現代アートのテーマだと思うし、結びなおせるのかどうかということから考えなくてはいけないのが現代人の宿命なんだと思う。(11-02-2007)