ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

若冲と江戸絵画展その1

東京国立博物館で開催中のプライスコレクション「若冲と江戸絵画」展に行ってきた。金曜日は夜間開館の日なので夕方から。早めに行って本館や東洋館も見ようと思っていたのに、企画展に引きつけられて結局平成館から出られず。この前の「最澄と天台」展の時も同じ失敗をしたのに…。もう少し後になってから行くつもりだったのだけど、酒井抱一の《十二か月花鳥図》が今月6日までとの情報を貰ったので慌てて行ってきた次第。抱一がいなくなったらそのスペースには代わりに何が出されるんだろう?もう一回行こうかな?

展覧会では、プライスコレクションの約600点の作品の中から、プライス氏と東京国立博物館が共同で選んだ109点を展示。企画案では130点あったものを、作品配置の関係から109点にまで抑えらしいのだが、その過程では、様々な葛藤と協議があったことだろうと思う。作品同士の幅も狭すぎなくて、ちょうどいい数だったと思う(やっぱり100点前後が展覧会としては妥当な数なのではないだろうか。110点以上は多すぎる気がする。)2000年に京都国立博物館で開催された大規模な「没後200年 若冲」展(夜行バスで行ってきたことが懐かしく思い出される)以来すっかり知名度も一般に浸透し、人気の高い画家としての地位を確立した感のある若冲だが、今回の展覧会は若冲展というわけではなく、プライス夫妻のコレクション展。若冲のみならず江戸期の絵画を総じて見ることが出来、大変楽しかった。洋の東西を問わず17世紀って、なんでこんなに活気があったんだろう!?17世紀はパワー、18世紀は洗練。国や地域は違っても同じ進み方をする美術の歴史って不思議。
そしてコレクション展の楽しみでもある“収集家の目”になって作品を見る楽しみも。コレクション展は、収集車と趣味が合わないとものすごくつまらなく感じてしまうものだけど、プライスコレクションとわたしの趣味は合っていたようで、その点でも満足な展覧会だった。このコレクター、グロテスクなぐねぐねした形態が好きに違いない。

Ⅰ)正統派絵画 Orthodox painting
Ⅱ)京の画家 Kyoko Painters
Ⅲ)エキセントリック The Eccentrics
Ⅳ)江戸の画家 Edo Painters
Ⅴ)江戸琳派 Edo Rimpa

会場は5章構成で、最後の一室はガラスケースを通さずに変化するライトで見るというものだった。変化するライトはダウンライトの絞りで実現しているわけだけど(行く前は、東から西に太陽光の波長に合わせて変化するんだと思っていた。よく考えたらそんな面倒なこと出来ないわね)、金銀の見え方が光の量でこんなに変化するとは!とびっくり。特に砂子は光でずいぶん変わる。浮き出てくる。日の光という自然光のみならず、ちらちらと揺れる蝋燭の明かりでの見え方というのも見てみたい*1

さてでは今回の記事は、若冲以外の作家について。
会場に入ってまず見/魅せられた長澤芦雪の《猛虎図》。もんのすごいいかり肩なんですけど(笑)。抱きしめられたいかも!ってくらいのいかり肩だよ。芦雪の虎図といえば、わたしの中では和歌山、串本の無量寺内応挙芦雪館にある、もっちりしたお手々の《虎図》が念頭にあったので、このいかり肩には笑ってしまった。芦雪は柔らかくとぼけた風合いの作品で好きな作家の一人なのだけど、今回来ていた《神仙亀図》も可愛かった〜。空中を亀が飛んで来たのかと思えてしまう構図、亀と仙人の見詰め合う眼差し(2人とも目が円らv)。幽霊図もさすがの出来。幽霊はやっぱり西洋画より東洋画の勝ち。
他には、川鍋暁斎が相変わらずエキセントリック(の章には無かったけど)。特に《閻魔と地獄太夫》は浄玻璃鏡に映る太夫とそれを覗く閻魔が描かれているのだが、映る対象である太夫本人が描かれていない。太夫はもう死んでいるはずなので鏡の前に立っているべきなのではないだろうか?鏡に向かって立つ後姿の太夫(そしてそれは亡者なのだから裸体であるはずである)が描かれていないところに、もしかしたら聖俗両方の存在としての太夫が保たれているのかもしれない。
あと不勉強ながら初めて知った作家、柴田是真。ぱっと見て工芸的な画面作りをする人だなぁと思ったら、やっぱり蒔絵師とのこと。
エキセントリックな作家と言えば曽我蕭白。今回はそんなに「すげー」ってうのは無かったけど、代わりに伝曽我蕭白もの《唐人物図》が面白かった。体の表面の肉が溶け落ちてしまうんじゃないかと思わせるような、皮膚に変な線が描かれた(そこから剥がれそう)人物図だったんだけど、絵もすごいがサインもすごかった。中世写本の見出し文字かあるいはアールヌーヴォーのデザインか、というようなサイン。作者の自信に満ち溢れている感じがする。おそらくは蕭白ではないので(もしかしたら蕭白の贋作作家かもしれない)、この作家は彼岸で「伝蕭白って言うな!」って思ってるんじゃないか、なんて想像までしてしまう。
根津美術館の所蔵でお馴染みの鈴木其一は、でろりとした絵の具使いの作家という印象があったのだが、今展覧会で見た其一の作品は全てシャーベットカラーで意外。《群鶴図屏風》の琳派的構成にもやられたーと思ったが、トロンプルイユのような《秋草図》*2もすごい。
中野其明の《蓮図小襖》は、葉の表現が螺鈿細工のようで、工芸品的明快な輪郭線を持った作品。
葛蛇玉の《雪中松に兎・梅に鴉図屏風》は図版で見たことがあった作品なのだけど、生で、しかも照明を変えて見るとこんなになるんだ!と感激。例えが不適当かもしれないが、80-90年代の少女漫画であった、時間経過を表す見開きページの夜空の表現を髣髴とさせた。ところでこれ、右隻と左隻の配置はこれでいいの?*3

若冲関連の展覧会では、三の丸尚蔵館の第40回展もあります。こちらは8月7日から11日までは展示替えで休館となるのでご注意ください。12日からの第5期展では《薔薇小禽図》や《群魚図》が出ます。また、はてなでやってる公式ブログ(うちの院生室のPCにもお気に入り入りしてます)も情報満載で良いです。TB歓迎と書いてあったので、とりあえず今回の記事は照明効果の記事にTBさせていただく事にしました。

奇想の図譜―からくり・若冲・かざり

奇想の図譜―からくり・若冲・かざり

*1:特にこの状態で見たいのは地獄草紙などの絵巻物!

*2:下中廻しから地にかけて、柱の図柄が飛び出しているので、まるで画中画のよう。

*3:兎が右、鴉が左に配置されて展示されていたんだけど、これだと左右脇を木で枠取りをしてしまうので、画外へと意識を持っていかせる日本画としては、なんだか窮屈な気がした。