ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

コルヴィッツ展

町田市立国際版画美術館で開催されていた「ケーテ・コルヴィッツ・レトロスペクティヴ 版画・素描・彫刻 -平和な世界へ祈りを込めて」展(2006年4月15日〜6月11日)に行ってきました。前回レヴューを書いた「バルラハ」展と幾重にもリンクしているので、両方行かれた方は、世紀末から世界大戦にかけての時期のドイツ美術のあり方をよく理解できたのではないでしょうか。上野と町田と、場所が離れすぎているのでちょっと行くのが大変でしたが…(ていうかそもそも、この美術館自体が駅からめちゃくちゃ遠い)。

Kathe KOLLWITZ:1867年ケーニヒスベルク(現ロシア・カリーニングラード))に生まれる。1885年ベルリンに出てベルンから絵画の指導を受ける一方で、マックス・クリンガーの連作版画に強い影響を受ける。一時故郷のケーニヒスベルクに帰った後、1888年ミュンヘンへ。ヘルテリヒに学ぶが、色彩表現よりも白黒の表現に自分の適性を見い出し、版画作品の制作を開始。1891年以降、診療所の医師として働く夫と北ベルリンの労働者街に住み、貧しい生活や戦争体験を心情的共感をもって描き出す。1908年に完結した版画集『農民戦争』で、ヴイラ・ロマーナ賞を受賞し1年間ローマで勉強をする。1903年から1911年にかけて雑誌『ジンプリツィシムス』の挿絵を描く。1920年以降制作した木版画や第1次世界大戦の戦没者記念碑など、広く活躍する。“表現主義の伝統を受け継いだドイツにおけるプロレタリア絵画の先駆者の一人”と言われている。バルラハの死に際しては、自らバルラハの作風を取り入れて、バルラハのための立体を制作してた。1945年に死去。

どういうきっかけだったか忘れてしまったけれども数年前に初めて彼女の作品を見た際、とんでもなく悲愴な感じの木版画を作る人、という認識がわたしの中に出来上がっていたケーテ・コルヴィッツ。この手の作風は嫌いではない、というより寧ろ好きなので、そのような作品をまとめて大量に見られる稀な機会だった。激動の時代という表現のぴったりな時期を生き抜いた彼女の作品は、そのまま時代の動きを反映するかのように特に戦争のテーマを軸に展開し、暗さや貧しさ、死をテーマとしている。20歳になる前に婚約しその数年後に結婚出産、孫も居て…というようなごくごく一般的な女性の人生を歩みつつも、常に制作から離れず活動し続けた事は、実はすごいことだと思う。時折“家族”や“子供”など家庭的なテーマのデッサンを残すのだけど、自分の子供や孫を描いているとは思えないほど客観的な視線。的確なデッサンからは、“母親の愛情”というある種湿った感情よりも、“生命に対する憧憬”という人間存在への乾いた愛情を感じる。母であり祖母でもあるはずの彼女の、この冷静さは、本当に不思議だ。
展覧会では立体作品も出ていたのだが、やはり彼女は平面の人だ。平面の上手さに比べると立体は見劣りしてしまう。デッサンの正確さ、白黒の簡素な場面。硬く引き締まった平面性こそが最大の魅力である。個人的には版画よりデッサンの方が心惹かれるものがたくさんあった。
会場構成は、メモを取りながら見なかったので各章タイトルなど思い出せません…ごめんなさい。クロノロジックに展開させた構成でした。(06-06-2006)