ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

鷹野隆大「イン・マイ・ルーム」展

NADiffで開催していた鷹野隆大「イン・マイ・ルーム」展(2006年3月17日〜4月23日)に行ってきた。第31回木村伊兵衛写真賞受賞者である彼の写真は、セクシャリティを根幹テーマとしている。女装の男性であったり、男性の「脱ぐ」行為、それを上下半分に割って別々の人間を投射したり。体は男なんだけど顔は女ぽかったり(最近の日本人男子は女顔ですねぇ)すると、その顔と体とのギャップにぎょっとさせられる。そしてかつらをつけて化粧までされてしまうと、それこそ性器が見えない限り被写体が男である事が分からない。
(化粧も含めた)衣服とは、自分自身のアイデンティティのコントロールを可能にするものであると思う。それを脱ぐ、家の中で脱ぐ、ことで、現れた「自分」は果たしてなんなのだろうか?あるはもしかしたら、脱いだあとにもコントロール可能なものが残るのかもしれない。社会に及ぼす外見の効果とは絶大なものであり、人間がそこに“いる”こと自体が既にアイデンティティの確立に必要な何かを探していると言うことなのだから。そこに“いる”だけで既に自然発生している衣服とは、恐らくは「肌」なのである。ヴァレリーの言葉「Ce qu'il y a de plus prafond chez l'homme, c'est la peau. (人間のうちで最も深遠なるもの、それは肌である)*1」を思い出す。ところで、次の記事で取り上げたトラン・バ・ヴァンが同じくヴァレリーのこの言葉をキャプションの中で語っていて驚いた。(18-04-2006)

*1:Paul Valery, L'idee fixe, 1933