ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

アカルイミライ

アカルイミライ》 英題 Bright Futur 仏題 JELLYFISH
監督:黒沢清
日本、2003年、92分 ☆☆☆

この監督の作品、何か見たことがあったかなぁと思うくらい、名前は知っていても別に「黒沢清だから見に行こう」と思ったことがありませんでした。鑑賞前にフィルモグラフィを探してみたら、1985年作品≪ドレミファ娘の血は騒ぐ≫、1997年作品≪CURE≫を見たことがありました。見たことのある2作に比べたら日常的なテーマ(家族の話、という前情報だった)なので、この作品はあまり期待しないで見に行ったのですが、そのせいか予想以上に色々思うところの多い作品でした(ちょっと冗漫さを感じさせる作品でしたが)。しかし仏題、失敗ですね。英題のまま公開すれば良かったのに。。。


仕事とプライベートを分けられない上司に嫌気を感じつつも、「はぁ、いいっすよ」と言ってしまうマモルとユージ。お金に余裕があるわけではないのに、趣味に対してはいくらでもつぎ込むであろうことを感じさせる2人の生活空間。
あるいはマモルの父親と弟の、素っ気無さ過ぎる家族の会話。物語を外側から形作る要素がとても、典型的でありふれた日本人像を表わしていることにまず驚いた。分かり過ぎるくらい分かる、2人の生活環境。説明的に描いているわけではないのに、物凄く分かるのだ。この描き方の上手さは監督の天性なのかもしれない。しかし、わたしはこの作品をフランスで見たので、一般的に「家族第一」主義のフランス人はこの日本的なシチュエーションを理解できるのだろうかとまず考えてしまった。そして、このシチュエーションが理解できないことには、この物語を理解することは不可能なのではないかと思った。血縁はもはや重要ではなく、血縁を越えた人間同士の関係性を模索するこの物語の人物達は、まさに都市の人間の傾向を示しているのだろう。


「家族なんだから理解できるはずだ」というのは幻想でしかなく、家族だからこそ分からない面のほうが多くなっていると、個人的にも思う。家族よりは友人に対しての方が、自分で思う「本当の自分」を見せていると思うからだ。ましてやマモルとその父親のように、もう何年も会っていないとなると、もはや他人と同義に近くなるのではないだろうか。血縁とは物理的な意味では永遠であるけれども、しかし現実問題としてマモルとその家族の血縁は切れている。弁護士の「父親なんですから」という台詞や、弟の「父親だろ」という台詞、それらは無意味である。血縁としての意味での家族の絆を信じている人間には、マモルの父親の苦悩はわからない。マモルの弟は自分がそれを信じていないのに「父親だろ」という台詞を吐く。自分が兄のことなど分からないと言っておいてしかし父親には分かっておけよと強要する、この弟のキャラクターもまた現代的だ。自分のことは棚に上げて、他人にはその責任を全うすることを押し付ける人間である。しかもそのことに自分では気付いていない。他人に対するこの無意味でしかし強制的な台詞を吐ける人間像。小さな台詞ではあるが、とても重たかった。

マモルの父は、息子に会わなかった空白の期間を埋めるべく一人奔走する。しかし息子の姿は曖昧なまま、ぼんやりとしてつかめない。マモルもまた父親には最後まで正体を明かさない。謎のまま死んだマモルを、ユージと父親は作り上げていく。それは完全な形にはならないが、しかしお互いの中の「マモル」をもう少しだけ深く知る手段であった。ユージと父親の間には、マモルを介しての新しい関係性が生まれる。血縁ではない、しかし新しい家族の形態が生まれる。

この作品タイトルは何故“明るい未来”なのか。一人の死を通じてそれまで関わらなかった人間が結びつき、それが新たな形での人間関係を育む。それは血縁に縛られない、自由な形での繋がりである。つまりは見知らぬ人間とどんどん繋がっていく可能性を秘めていることを述べているのではないだろうか。未来は不明であり、何処で誰と繋がるか分からない。そんな未来が明るいものであるよう、『行け』のサインを、人は待っているのかもしれない。


町の不良少年達とユージとの行動は、物語の必要要素ではあったかもしれないが、しかし蛇足感を感じた。(この少年達もまた、非常に都市的な、典型的若者像であった。)また、父親がユージに「君を許す」と言うことに違和感があった。なぜならこれは一人のフラフラした青年の「許しの物語」ではないからだ。ユージの罪は社会的な罪であって、それは一人の人間が許すといったところで許されるものではないと思う。許すと言われたことでユージの気持ちは多少軽くはなるだろう。しかし社会的罪と意識的な罪とを混同するべきではないと思うのだ。

だが許されることで『行け』のサインを得られるのは、ある意味で真理だと思う。停滞してしまってどんよりと腐っていく前に、何かのきっかけを掴み、進む。他人との関係を築きながら生き続ける。そうすることで、わたし達の前には明るい未来が待ち受けるのだ。(07-02-2004)