DADA展評
サントル・ポンピドーで開催していたDADA展に、最終日にようやく行った。夕方から行ったんだけどものすごく混んでた。皆そんなにDADA好きか?そしてそれに負けじと展示作品の数も多い。多すぎる。メモを取る気も失せるほどの量。集められるからったって集めすぎですよ、あれは。DADAは印刷物が多いので比例して作品数も多くなるんだろうけど、それんしたってこりゃ無いよ、もっとまとめようよ、という感じ。資料集めが得意で、でも集めすぎてまとめきれなくなった学生の論文みたいな展覧会だった。
展覧会会場は、約2200㎡の会場を30㎡の正方形に細分化し(一部のセクションは例外)、ダダイストたちの愛着あるゲームであるチェス盤を髣髴とさせるようになっていた。入り口と出口は近い場所にあり、会場内をどのように見ても良いという遊び心に満ちた会場構成(とは言えそれが混雑時には鬱陶しくて仕方が無いのだけど)。好きなように見ても良いとのことではあったけど、うろうろ動き回れるほど空いていなかったので、時折順序は逆ながらも一応アルファベット順に見ていくことにした。
A : Avant DADA
A-1 : New York
A-2 : Identités
A-3 : DADACO, DADAGLOBE, CORRESPONDANCE
A-4-5 : Schwitters
A-6 : Pay-bas
A-7 : DADA international ( Japon, Russe etc)
A-8 : Fins, film ENTR'ACT de René ClairB : Introduction
B-1 : READY-MADE
B-2 : Chance, Jeu, Hasard
B-3 : Anti-peinture
B-4 : Informe, Rebut, Banal
B-5 : Art élémentaire
B-6 : DADA en Belgique
B-7 : SURRÉALISME ?C : Cabaret Voltaire*1
C-1 : Duchamp, Picabia
C-2 : COLLAGE, ASSEMBLAGE, PHOTOMONTAGE
C-3 : Berlin
C-4 : Höch
C-5 : Cologne
C-6 : Ernst
C-7 : DADAPOLISD : Poème simultané
D-1 : Taeuber-Arp
D-2 : Revues, 391, DADA
D-3 : Critique sociale, Grosz
D-4 : Berlin, DADA-MESSE
D-5 : Hausmann
D-6 : Mécano DADA
D-7 : Optique de Précision de DuchampE
E-1 : Zurich
E-2 : Arp
E-3 : Tzara
E-4 : Graphisme
E-5 : TABU DADA, Crotti, S.Duchamp
E-6 : Picbia, DalmauF
F-1 : Richter, Eggeling
F-2 : Schad, Man Ray
F-3 : Paris littérature
F-4 : Paris manifestations
F-5 : Paris expositionsG : Galerie DADA
S : Son DADA
通常DADAと言われた時、思い浮かぶのは“芸術的既成概念の破壊”というテーマであり、破壊はまた創造を生むのであるがしかし、今まではその造形的な意味での破壊的側面が特にフューチャーされてきた。この展覧会は破壊面には殆ど触れずに創造の面を大きく扱い、DADAがいかにして新しい価値観を生み出そうとしてきたか(それ故に世界的な同時発生*2のムーヴメントと成り得た)を見せようとしていたように思う。それ故に展示すべき造形作品が増えてしまったのだろう(その熱意は分かるが、鑑賞者側の意見としては、もう少し纏めた方がいいんじゃないかなーと思う)。だが一方で、これほど作品が多いと、必然目が行く作家というものが生まれてくるものだ。疲れきって彷徨うように会場内をふらついていると「おっ」と思う、そうして惹かれた作品のキャプションを見てみると、それは不思議な事に十中八九既に知っている作家なのだ。DADAの作品はマチエールとしては屑が多いので、下手をすれば全てガラクタの寄せ集めの展覧会にしかならないのだけど、それでも目を引く作品というものが生まれる。こうして多くの人間の目を引いた作家が、名を残していくのだろう。セクションD-1で紹介されていた作家Taeuber-Arpの操り人形*3は大変可愛かったなー。おっさん顔なのにラブリーなレースをつけたりしている。鳥も可愛かったv
“DADA展”と銘打つからには必然の課題となるのはダダとシュルレアリスムの曖昧な境の問題であるが、この展覧会はクロノロジックな会場構成をしないことでそれを上手く避けたように思う*4。逆にダダの前身を綜合的キュビスムまで遡るのはなるほどと思わせるし(できれば未来派をもっと大きく出して欲しかったが、デ・キリコの作品を展示する事で良しとしたのだろうか)、作品量が多すぎる(&人が多すぎる)ことを除けばとてもよい展覧会だったと思う。これのコンパクト版が開ければもっといいのだけど。個人的には、チューリッヒ・ダダは文学的ゆえに作品数があまり多くても読みきれないので、造形芸術の盛んなニューヨーク・ダダに的を絞った展覧会が見たい。
パリでの展示を終えたこの展覧会は、ワシントンのNational Gallery of Art(2006年2月19日〜5月14日)とニューヨークのMoMA(2006年6月16日〜9月11日)へ巡回します。