ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

TUVALU

TUVALU 邦題《ツヴァル》
監督:ファイト・ヘルマー
ドイツ、1999年、92分 ☆☆☆☆☆

かなり久々に手放しで喝采!な作品。本当にいい映画でした。とにかく幸せいっぱい。アクションも、微妙な心の機微も、夢のような生活も厳しい現実も、叶わない切なさも、思いが報われる幸福感も、ありとあらゆる要素が入っていて、どんな人が見ても楽しめる映画なのではないでしょうか。


南太平洋に実際に浮かぶ島国の名前を冠したこの作品ですが、この実在の国は出てこなくて、その道の島国へ船で行くことを夢見る少年少女の物語。ドイツ映画とはいえ、この作品中特定の言語は語られません。基本的にみな顔や仕草で演技し、笑い声とか、驚く時の息を飲む音とか、「言葉」として成り立っていない状態の赤ちゃんのような音が聞こえるばかり。たまに言葉として出てくるのは、名前の他は「Hi」や「Chao」、「Bye」など、世界中の誰もが知っているようなものだけ。どの国の人が見ても楽しめるように、という配慮のもと選ばれた結果なのだそうです。トーキー以前のようでいてそうではない。音も声もあるけれど特定の言語に依存しない。映画においては実に斬新な手法ではないでしょうか。ヴィジュアルイメージとしての映画の魅力(威力)を前面に打ち出しているのです。


小さな小さな村の屋内温水プールを父とともに営業している主人公アントン(ドゥニ・ラヴァン)はいつもビーチサンダルを履いている。水辺といえばビーチサンダル。でも彼はそれしか履くものを持っていない。兄のグレゴールのように、革靴を履いたことが無い。靴が無ければプールの外の世界には出られないのだ。何故彼が靴を履かなければ外に出られないと思っているのかは謎だけど、これはアントンというキャラクターを象徴する手段なのだろう。外へ出たいけれど僕には靴が無いから出られない、と思い込む。靴を手に入れる努力をしていない弱虫のアントンがそこに居る。ある時プール客グスタフが娘を連れてきた。彼女の名前はエヴァ(チュルパン・ハマートヴァ)。アントンは彼女に一目惚れ!でも女の子に接したことが無いアントンはどうやってエヴァに近づいたらいいのか分からずかなり変質者的行為を連発。それでもアントンに興味を持ち次第に仲良くなる2人。そこで出てくるのは当然悪役。地域の再開発プロジェクトを進める兄のグレゴールだ。プールの土地買収が上手くいってない上に愚図な弟に彼女なんて!と嫉妬めらめらの兄さんは、あの手この手で2人の邪魔をし、ふとしたときにグスタフを殺してしまう。父の死がぼろい建物のせいで、つまりはアントンのせいだと思ったエヴァはアントンに絶交を宣言。そして父の遺品から見つけたツヴァル国への地図を見て出発を決意するが、動力装置に最も必要なピストンが手に入らない。そこでエヴァは思いつく。アントンのプールも同じ機械で動いていたと…。


グスタフの死後、彼の靴をこっそり奪って外界に踏み出すアントン。その初めて地面を踏みしめる違和感、不安感、昂揚感。その全てをジェスチャーで体現するドゥニ・ラヴァンの演技力はほんっとに素晴らしい!もともと身体表現に長けていた俳優さんだったけど、それは大体軽やかな、軽業師のようなものだった。今回のような、初めての世界へ踏み出す少年の戸惑いという重い表現をしているのは初めて見たのだけど、上手い。こうして外へ出かけることができるようになったアントンは、奪われたピストンを取り返しに行く。ちょうど同じ頃、死人を出したということで、プール営業許可を取り消すかどうかの検査官がやってくる。古くてぼろい今のままではプールはつぶれてしまう。とはいっても修理するお金なんか無いわけで、検査官が来る碑の備えて少しずつ「テクノロジー」を導入していくことに。兄の薦めで(当然悪巧みが絡んでいる)、まずキャッシャーの機械が導入される。自信満々で機械を指差し「テクノロジー・システム・プロフィット」と紹介するグレゴール。しかし誰もが「?」状態。おまけにさっそく壊れる。テクノロジーの脆さを揶揄した面白おかしいひとコマ。いよいよ検査の日。配管が上手くいってないシャワーやドライヤーなどは、プールがなくなると困る常連客たちの見事なチームワーク(すごい!)でOKサインをゲット。兄の悪巧みとプールの検査という2つの試練を乗り越え、更にエヴァの誤解を解いたアントン。何の障害も無くなった2人はいよいよ幸せの航海に出発!

科学技術・資本主義=悪という構図はとても古臭い考えかただし一方的過ぎるといえばそうなんだけど、これは例えば『グリム童話』のような寓話の要素が強いわけで、こうしたファンタジーの世界には絶対的な悪と絶対的な善が対立しなければ成り立たないので、「描き方が型に嵌り過ぎ」なんていう批判はレベルが違うと思います。そう、この物語は、少年/少女壁を乗り越え一歩を踏み出したときの、瑞々しく興奮するような気分を描いたものであり、少年/少女の枠を抜け出していない人が見るのと、抜け出して数年の若者が見るのと、そんなことははるか昔だと思う人が見るのとではだいぶ感じ方が違うでしょう。しかしこうした大人になるためのイニシエーションとしての映画ということ以外にも、例えば家族を思いやる気持ち(アントン→父カール)の描写の繊細さにも見所はあるし、リアルな色を使わないという監督の意図を汲み取り映像美として鑑賞するにも充分な作品です。もう、ほんとに心が柔らかく溶け出すような美しく可愛らしい作品。ラヴコメディが好きではないあたしですら推しまくりの恋愛映画です。

この作品はヘルマー監督の初の長編作品で、構想は実に12年!テクノロジーを嫌う理由からCGなどは一切使わず全て撮影で賄ったということです。ちなみにそれまで彼は短編を50本ほど制作しており、今後の予定として長編第2作目の脚本を書いているということです。(16-05-2001)