ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

モローデッサン展

Théodore Chassériau (1819?1856): The Unknown Romantic (Metropolitan Museum of Art Series)
先月からパリの国立美術学校で「Quand Moreau signait Chassériau*1(モローがシャセリオーと結びつく時)」という小規模展示が行われています。
初期作品Darius fuyant après la bataille d’Arbelles 《アルベラの戦いの後逃れて水を飲むダレイオス》(1852年、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館所蔵)とLe Cantique des cantiques 《雅歌》(1853年、ディジョン美術館所蔵)のデッサンを集め、画面をいかに構築していったのかを検証する展示のようです。
12月16日まで;月曜〜金曜日 / 13時〜17時 / 入場無料
オフィシャルサイト内ページ→l’École nationale supérieure des beaux-arts de Paris
ところで知らなかったのですが、2004年にN.Y.のギャラリーでシャセリオーの裸婦像が盗まれていたらしいです。その後見つかったのかな?因みに画像は展覧会図録。表紙になっている作品《エステルの化粧》はルーヴル美術館にあります。多分一番有名な作品なのですが、つくづく金髪よりも黒髪の女を描くほうがうまい作家だと思ってしまうのですが。

*1:Théodore Chassériau (1819-1856) : フランス人外交官の父とクレオールの女性を母として、西インド諸島のスペイン領サント=ドミンゴに生まれる。アングルの元で修行したが、ドラクロワと親交を結ぶ事でロマン主義の作風へと傾倒。新古典主義とロマン派の折衷的な画家(ボードレール曰く「アングルとドラクロワの間」)と言われる。その折衷様式とオリエンタリスムという作風のため美術史で大きく取り上げられる事のなかったが、2002年の大規模な展覧会を契機として、研究が発展しているであろう作家。彼が描いた会計監査院の壁画(1844-48制作。しかし火事により焼失)にモローは感激し心酔、シャセリオーの死後にはオマージュとなる作品《若者と死》を描いている。