ふらんす*にちようざっかblog

美術とフランスにまつわる雑話。でも最近は子育てネタばかり。

バランシン Joyaux

昼間はずっと家で勉強してて、夜出かける。19時15分にオペラ・ガルニエ前でヨーコと、日本から来ている彼女のお母様と待ち合わせして、バランシン振り付けのバレエ「Joyaux(原題 Jewels)」を見る。

3人で行ったものの、チケットを取ったのが2日前だったので、席は3人ばらばら。一番上の安い席でさえ埋まってて、これはバランシンが人気なのか、あるいは衣装がラクロワということで人が集まったのか。ラクロワの衣装のきらきらと、ダンスールのハンサムさ(とは言えあたしは顔がよく見えなかった)に興奮しつつ22時ごろ終演。ヴァンドーム広場近くのカフェで軽く食べてから帰宅。


George Balanchine (The Library of American Choreographers)
George Balanchine*1(1904-1983)振り付けのJewels (仏題Joyaux)を。バランシンが1967年にニューヨーク・シティ・バレエ団のために作った作品で、その名のとおり「エメラルド」「ルビー」「ダイヤモンド」の宝石3部作です。衣装&舞台装飾はクリスチャン・ラクロワ。ダイヤモンドの装飾が、天井にきらきらした木の枝のような鳥の巣のようなオブジェを吊っていて綺麗でした!衣装はルビーが可愛かったです、一番ラクロワらしかったし。でもどれも全部きらきらで素敵だった〜v
今日見に行ったのは、「ダイヤモンド」でMarie-Agnès Gillotが踊ると事前発表だった日だからなのですが、…変更でした…(涙)。夏にプティのバレエを見に行った時にこのダンスーズに惚れこんだのですが(この時はNicolas Le Riche目当てで行きました)、あーまたあの蜘蛛のような長い手足が見られると思ったのに!今日だけではなくて他の日も結構、配役の変動があるようです、この公演。なんでだろう、来月白鳥の湖があるから?でも配役一覧を見ていると、Gillotがルビーの女王様を演じてLetestu(革命記念日の無料バレエでジュリエットをやった人)がダイヤモンドをやるほうが合ってるかもしれない。変更がなければまた見に行きたいけど、どうしよう…。

Joyaux
N.Y.の5th.Avenueでウィンドーショッピングをする女性たちにインスピレーションを受け制作。全ての女性への、そして3大バレエ団を持つ国(フランス、アメリカ、ロシア)へのオマージュとなっている。2000年12月にパリ=オペラ座のレパートリーとして加えられた。

Emeraudes
曲:Gabriel Fauré、Pelléas et Mélisande ぺレアスとメリザンド(1898)、Shylock シャイロック(1889)の抜粋
エメラルドは、フォーレのメロディーにインスピレーションを受けて制作。フランス的なものとしてのBallet Romantique(ロマンティックバレエ)を髣髴とさせる作りになっている(零れ落ちるエメラルドを切なげに拾う場面とか、うっときます)。切なくゆったりと、甘い感じで。

Rubis
曲:Igor Stravinski、Capriccio ピアノとオーケストラのための奇想曲(1929)
3部作の中でこの「ルビー」だけは「奇想曲」の名で1974年にパリ=オペラ座のレパートリー入りしている。ブロードウェイの華々しさ、力強さなどを、ルビーの赤色の強さに乗せて表現する、3作中最もアグレッシヴな舞台。ピアノのシンコペーションを活かした切れの良いダンスが魅力。モダンバレエに近いので、バレエに馴染みのない人でも見易いと思います。

Diamants
曲:Piotr Ilytch Tchaikovski、Symphonie no.3 en RE majeur, op.29 交響曲第3番ニ長調作品29(1875)
ロシア的と言ってもペレストロイカのもっと前、帝政ロシア時代を髣髴とさせる、優雅で気品あるステージ。でもただたおやかなのではなく、ダイヤモンドという素材の硬さまでもを表しているのか、「エメラルド」のような甘さが無い。3作中最も参加人数が多くいので力強さもあり、コール・ド・バレエは見ごたえ十分。

個人的には、パリ=オペラ座バレエ団は、もっとコール・ド・バレエが揃うと圧巻なのになーと思います。個人の能力が高いので、コール・ド・バレエもなんか「俺・俺!」って感じになりがち。揃ってこそ美しいのに。

*1:ストーリーやメッセージよりも、「目に見て美しいバレエ」「音楽と一体化するバレエ」を追及した振付家。1904年ペテルブルグ生まれ、マリインスキー劇場バレエ学校に学ぶ。1924年よりバレエ・リュス(ロシアバレエ団)に参加、《ミューズを率いるアポロ》などを振付ける。ディアギレフの死後、1934年L.カースティンに懇願されアメリカに渡る。スクール・オブ・アメリカン・バレエを元にバレエ・ソサエティを1946年に結成、1948年にニューヨーク・シティ・バレエ団となりアメリカのバレエを花開かせる契機となった。《シンフォニー・イン・D》や《ヴァイオリン・コンツェルト》など音楽のタイトルをそのままバレエにした作品が多く、美しい音楽をバレエという身体表現で見せる「抽象的バレエ」を確立し、世界中の、クラッシックのみならずモダンバレエに多大な影響を及ぼした。